高校くらいの頃に、生物で「全か無かの法則」を学んだ。
加えられた刺激が限界値より弱い場合は全く反応せず(無)、反応するときには完全に反応し(全)、その反応にはこの両極端しか存在しない、ということを示した法則である。

日本人は、完全主義者が多いと聞いたことがあるが、知識人でも完全主義者と親和性の高い、1か0かをはっきり決めつけたがるデジタル思考の人が増えているように思える。一例は、少し前のある人のツイートだ。
「原発ゼロには呆れてものが言えない。野田総理を支持し、政権内に友人が多いので応援してきたが、期待は100%裏切られた。野田首相もブレてしまった。プ リンシプルが無くなると、もう何を言っても信用されなくなる。財界や知識層は、現政権から急速に離れて行くだろう。僕は今年中の選挙を支持する。」

かつて私も妹から、しばしば「コトを強引にまとめようとする」と指摘をされていた。それと同じがどうかわからないが、政治でものごとを決めるときもそうだ。エネルギー政策あり、TPPの問題もそうだし、景気対策、そして外交問題もそうである。どこかで、不具合があると、人格否定をして(この場合は政党だ)、全部がダメという結論にしたがる。そして、妄信的に別の選択肢に走る。

コトと人を区別できない。政権が再度代わったって、代わりはしない。そんな夢物語があるはずはないではないか。完全な人なんかいない、当然ながら、完全な政党もあるはずがない。なぜなら、人間は「考え」に基づいて生きていないから。
それぞれ異なった事象に対しては、「全か無かの法則」に従わずに、一致点に基づいて段階的に改善していけば良いのではないかと私は思う。

 

*** ベゴニア  この時期の白さは、春と異なる色調でさわやかだ

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